2007年02月04日

節分祭など何処へやら

もう京都の左京区に暮らして通算七年近くになるというのに、未だに吉田神社の節分祭がどんな物なのか、よく知らない。大学生門より西側からずらっと並ぶ屋台と、細い東一条通を行きかう人々の数に圧倒されて、且つ巻き込まれたくないもので。
今年は大学内にあるレストランでアルバイトをしている関係で、無関係では無かったですけれどね。というか、オッソロシイ数のお客さんに振り回されたというのが、正直な所でした。三日はサロンの売り上げが九万円を越えたとか。実際作業をしていて、自分が何をしているのかよくわかんなかったし。お客さんもケーキセットの注文をしてから何十分も待たされて、大分苦情があったみたい。反省です。
明日からはまた静かな吉田神社に戻るのだろうけれど。
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2007年02月02日

研究ノート

Roger le Tourneau
"Décadence Sa'dienne et l'anarchie Marocaine au XVIIe siècle," Annales de la faculté des Lettres d'Aix, XXXII, 1958, pp. 187-225.

[p. 192]
マンスール没後のモロッコでの歴史的な事件の流れを決定した要素についての主張。
村や部族集団という微細な段階を除けば、集団が非常にわずかにしか組織されていなかった17世紀のモロッコにおいて、個人の(持つ)影響力が決定的であったように私には思われる。拡大する無政府状態がそれらを衰弱させることはないであろう。

・村や部族といった集団は、モロッコの政治的な動きを見ていくうえで、本当に微細な影響力しか持ち得ない要素であったのだろうか。むしろ16世紀前半サァド家の人々によって組織され、異教徒の侵略者に対するジハードへと方向付けられていたモロッコ南部諸部族が、ジハードの停止と強力な支配者の消滅によって再度集団としての纏まりを失い、政治的な分裂を招いたと見ることは出来ないか。

・特にアラビア語の史料の多くにおいて、17世紀前半の混乱の責任をサァド朝の王族たち、特にムハンマド・シャイフ・マァムーンの不品行にきせようとする傾向があることを、軽視しすぎではないか。マンスール治世末年の内乱の過程は、再度検討する必要がある。
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2007年02月01日

ビストロ コムシコムサ

というわけで、予約しておいたビストロ「コムシコムサ」に、結構上機嫌でお邪魔しました。
写真はありません。撮っている暇があったら私は食べます。
出来る限りおいしいうちに食べたいやん。

アミュゼはチーズ味のプティシュー。さっくりとした食感と塩気が美味。
ワインにニコラ・ポテロのボーヌ・ロマネ2003ハーフボトル。普段はフルボトルでお願いしてしまうのだけれど、全部飲んでしまうと肝心のメインディッシュが良く解らなくなってしまうし、グラスワインだと何故か何杯も飲んで結局フルボトルと同じことに。ハーフボトルだったらここまで、というライン引きが明確に出来ますから。で、結構良いワインが飲めるし。

前菜の一皿目は、ふぐとホタテ貝柱のタルタル。
あっさりとしたマヨネーズソース?で、ふぐと貝柱の角切りをあえたもの。色合いはよく似ているけれど食感の異なる二つの食材の組み合わせが面白い。

前菜の二皿目、温かいオードブルで、ホタテ貝柱のタルト仕立て。
注文した時にはあんまり考えていなかったけれど、同じ食材。+525でフォアグラもあった。
薄いパイ生地の上にホタテのソテー、バルサミコ酢とカレーをあわせたソース。ホタテ貝柱の旨みと程よく残った酸味がバランスよく絡まっていた。ただパイ生地はサクサクとして美味しいんだけれど、ややフォークとナイフでは食べ難い。

ポワッソン、料理名を記憶していないけれど、イトヨリのポワレをブイヤベース風のスープに合わせたもの。少しピリッとしたスープにカリッとしたイトヨリが良く合う。自家製らしい全粒粉のパンを浸してむしゃむしゃ。ちょっとお行儀が悪かったかも。

ビアンド、蝦夷鹿のロースト。赤スグリとトランペット茸が付け合せ。
非常にあっさりとして、柔らかな鹿肉。癖のない肉質で火の通り加減も絶妙。
でも鼻の奥ではちゃんと鹿肉特有の野趣のある香りが楽しめた

最後にチーズ三種類と、貝柱ともち米のお茶漬け、ショコラのスフレを頂いて満腹になりました。
お邪魔したのが8時ごろということもあり、最後は他にお客さんがいなかったので、少し雑談。アルバイトでフレンチのレストランに勤めていることがばれました。でもどこかは内緒。
今度は春頃ランチにお邪魔したいかな。
posted by しんぼさん at 22:52| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大分開いたなぁ

凡そ三ヶ月ぶりにブログの更新。
一日途絶えるとそのままずるずるっと。無理に書くものではないけれどさ。
今日はレストランバイトの朝番。昨晩三時近くまで本を読んでいた所為か、ちょいと体調不良でした。その上準備時間中、電話や直接の来店での予約が連続して入ってきて、開店の11時にぎりぎりでこぎつけましたよ。反省です。
そんな情けないバイトではありますけれど、マネージャーじきじきに昇給のお知らせ!!
やったぜ。
残念ながら空回りの多い仕事振りになってしまいましたけれど…。
posted by しんぼさん at 22:25| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月07日

サツマイモの入ったポタージュ

Satsumaimo-Potage.jpg
レシピ
・材料
サツマイモ 1本
にんじん 1/2本
玉ねぎ 1/4個
セロリ 1/2本

固形スープストック 1個
水 400cc
牛乳 200cc
オリーブオイル 大匙1杯
塩 小匙1杯
胡椒 適量

・作り方
サツマイモは細かい乱切りにして水にさらす。
にんじん、玉ねぎ、セロリは薄切りに。
熱したフライパンにオリーブオイルを入れて馴染ませ、焦げないように弱火で野菜類を炒める。
火が通ったら鍋に移し、塩胡椒と水、スープストックを入れて強火で煮込む。
煮立ったら灰汁を丁寧に取って、弱火で30分ほど煮込む。
野菜が煮崩れだしたら牛乳を加え、再度沸騰するまで煮込む。
火を落として塩加減を見る。
ミキサーですりつぶして、再度鍋に戻し、温めなおす。

普通はサツマイモではなくてジャガイモで作るポタージュです。
バターと生クリームを使ったほうがコクは出るけれど、カロリーが気になるし、サツマイモの甘みがあるのでこのようになっています。
なぜポタージュは「食べる」なのか良く解る、しっかりとした食感。

外は良いお天気、陽射しが温かいのですが、自転車で走ってみると耳のそばをごおっ、と唸る秋の風がずっとついてくる。日々吉田山の色も赤みを帯びてきました。
そんな中、水曜日のオスマン語予習中。
すすまねぇ。
posted by しんぼさん at 13:51| 京都 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | ご飯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月06日

鶏肉のトマト煮込み

久しぶりにスパークリングワインを開ける。
Jacob's Creekの安いワインではあるけれど、なかなかの高評価を得ているもののようで、期待大。
ということで、久しぶりにまともな料理を作ってみた。

レシピ
・材料
トマト缶詰 一缶
鶏腿肉 300g
玉ねぎ 100g
にんじん 50g
セロリ 50g
エリンギ 100g

ニンニク 一欠けら
ケッパー 大匙1
黒オリーブ 50g
コンソメキューブ 1
塩、胡椒、オリーブオイル 適量

・作り方
鶏腿肉は三等分し、塩コショウをしっかりとして下味をつける。
ケッパーをみじん切りにする。
玉ねぎは繊維に沿って細切りに、にんじんとセロリは斜めの輪切りに。
エリンギは手で細長く裂く。黒オリーブは二分の一に。
ニンニクは芯を除いて薄切りに。

フライパンにオリーブオイルを熱し、ニンニクを香りが出るまでじっくり弱火でいためる。
ニンニクを除いて玉ねぎ、にんじん、セロリをいためる。
炒めた野菜類を鍋に移し、一旦フライパンを洗う。
鍋にトマト缶詰とコンソメキューブを加え、じっくりと煮込む。
再度フライパンにオリーブオイルを熱し、強火でこんがり鶏肉を炒める(火を通しすぎないこと)。
野菜類が柔らかくなったら、鶏肉、エリンギ、ケッパーを加え、10分ほど煮込む。
塩コショウで味を調え、出来上がり。

何のことはない。トマト缶詰で野菜と鶏肉を炒めただけ。
でもこれが、爽やかな味わいのワインに合うんだな。
Jacob's Creekは、シャルドネの薄い緑の入った黄色い色合いが美しい。
辛口で食事に合わせやすいけれど、程よい甘みが感じられ飲みやすい。
全く嫌味な所のないスパークリングで、これで千円そこそこというのは優れものだと思う。

Jacob's-Creek-Ch-and-Pinot.jpg
名称:JACOB'S CREEK Chardonnay Pinot Noir BRUT CUVEE 2003
生産者:JACOB'S CREEK
地域:バックランド・ヴァレー(ヴィクトリア州)、カウラ(ニュー・サウス・ウェールズ州)、アデレイド・ヒルズ(サウス・オーストラリア州)
セパージュ:Chardonnay 75%、Pinot Noir 25%
価格:1180
購入:わくわくワインの玉手箱(楽天)
posted by しんぼさん at 21:28| 京都 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | ご飯 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月03日

ザーウィヤ=ファースィーヤの台頭に関するアイディア

ザーウィヤ=ファースィーヤ
フェスの都市政治の中では、17世紀初頭の内戦期に姿を現す。
従来の研究…創始者のアブー・アルマハースィン・ユースフの個人的な学識、バラカの力に理由を求める。しかし彼自身の著作は殆ど伝わっておらず、同時代の弟子とされる人物の伝記にさえ登場しない。恐らく17世紀にザーウィヤが影響力を獲得するに連れて、創始者の情報が再構成された(Familias de Fez)。
とはいえ、その復元は基本的にこれまでと同じ史料を用いざるを得ない。
アラビア語の年代記や外交文書、外国人の記録をさらに活用し、当時のフェスの状況をより明らかにしていく必要性。

一般にはジャズーリーヤの一派として認識されている
←Mumti' al-Asmā'の影響
ザーウィヤに関して現存する最も古い資料(Mirāt al-Mahāsin)では、本来ザッルーキーヤのシャイフであったことが確認できる。
ザッルーキーヤのシャイフ=アフマド・ブン・ユースフ・ミリヤーニーとの関係は?
このシャイフの弟子筋に当たるアカーキザとシャッラーカの関係
東方系の遊牧民集団であった可能性は高い

サァド朝との結びつき
・ 図書館の建設において、士官を求められる
・ サァド朝のカーイドたちの多くからの支持
→ムハンマド・シャイフの部下たちに多くの支持者を持っていた
アンダルス系のカーイドだったのか、シャッラーカだったのか。
フェスでのジャズーリーヤの支持者が、最初アンダルス系の人々が中心であったことについては同じ史料で知られている。

フェス周辺の農村部で強い影響力を持つジャズーリーヤのシャイフたちに対して、学問上の点からも宗教的な面からも、密接な関係を保つ。
後者の人々は、モロッコの農村部をどのように支配していたのか。

ザーウィヤ=ファースィーヤは、サァド朝の権力と地域の権力の仲立ちをする形で台頭したのではないか?
posted by しんぼさん at 19:16| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 研究ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東洋史学会の頃

いいお天気だというのに、午前中はほったらかしていたアラビア語年代記の翻訳。
午後は昨日と同じ教室で、東洋史の学会を聞きに。
久しぶりに自転車で宇治あたりまで遠出したい気分。
ここんところ、体が鈍っていて仕方ない。

朝、といってももう大分陽が昇った後、窓を開けると既に大分気温が低い。
そういえば、東山山系の低い山々も、少しづつ色づいてきた。
竜胆は大分寂しそうに蕾をすぼめている。
秋やね。
posted by しんぼさん at 18:04| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月02日

懇親会

飲み物がビールばっかり。
安物で良いから日本酒なりワインなり、混ぜておいて欲しいなあ。
フリアンディーズのサンドウィッチはなかなかよろしい。
パンがしっかりしているからだろう。
但し終わりごろになると、ややぱさついておりました。

結構西洋史の方と話した。今京大の西洋史ではビザンツが流行りなのか?
言語的にも資料集めの面でも大変だろうに。
ご苦労様。
posted by しんぼさん at 22:24| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

史学研究会大会

八月の中ごろ、何の前触れも無く助教授から届いたメールで、研究会の庶務委員とやらに任命されたことが告げられる。しかも替わりになる人がいない。ご丁寧にも、「逃げられない状況です」とのお断りつき。それでも普通先に一報くらい入れるでしょうに。
しばらくして届いた研究会の名簿では、申請もしていないのに会員に登録済み。
メンドクサ。

とはいえそう簡単にすっぽかすわけにも参りません。
何年ぶりかでスーツに袖を通し、新館二階第三講義室前へ集合、12時20分時間厳守のこと…、誰もいねぇ。勘弁してくださいよぉ。しばらくして少しずつ人が集まりだす。東洋史のM1の方と考古学のODの方は、全くの普段着で登場。他はやっぱりスーツなので、東洋史の人が不安がり始める。いや、君の格好確かに問題はあるけれど、そもそも誰も気にしてないって。
準備自体は受付の机設営と大会予定表の貼り付けだけ。
庶務委員を置いたのは今年が最初だそうだけれど、これだけならそりゃ常任委員だけで出来るわな。

最初の発表者、西洋史の服部さんの講演を途中から拝聴。
よって講演全体でどのようなことを示そうとしたのかは、あまりはっきりとわからない。まず、琵琶湖北部の小さな二つの村落共同体間での、境界の決定を原因とした長期に亘る対立と、その解決を図る裁判の事例が示される。こちらは専門外ということもあってか、凡そ日本史の先行研究から引っ張ってきたもの。
ついで南ドイツ、チロル地方の移牧を生業とする村落間での、放牧地の使用を巡る紛争と、その裁判記録の紹介。この時点で、どうやら問題となっているのは、私有地ではなく村落が共同所有する入会地のしようであると気が付く。勿論村落共同体間の争いの原因はさまざまであるようだが。この時点で予定時刻をかなり消費していたため、史料の紹介は非常に駆け足。その割には大量のスライドを見せてくださる…が、あまり意味のある写真はなかったような。きれいな景色ではあったけれどね。

で、この二つの事例からどういうことを言いたかったのか、個人的には良く解らない。
もともとこの人のレジュメは史料を読みながらのノートの域を出ない所があって、それだけ読んでいても何がなんだか解らないし、話し方ももごもごして語尾がはっきりしない。手厳しくいえば、時間の限られた講演で明確に内容を伝えるのは下手。こっちの理解力の問題はあるが、後の懇親会で他の方たちと話した感じからしても、よくわからない発表と思った人は少なからずいたようだ。
その上で推測するなら、
・ある共同体が所有する土地の使用を巡って、共同体同士が主体となって行われる裁判
・紛争の解決の手段として、公権力の下での裁判によって決着をつけようという態度
という共通点を指摘した上で、両者の相違する点からそれぞれの共同体が持つ特異性を明らかにしたかったのだろうか?
その場合、質疑応答の際に出された、「中国の華北部では中央権力の力が強すぎて農村共同体みたいな物は存在を許されない」という見解をヒントにして、ある歴史的地域が持つ中央集権的権力との関係性を比較の焦点に持っていくと、より面白い研究になると思うのだが。
posted by しんぼさん at 22:18| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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